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どのようにして、そしてなぜ教皇ベネディクト十六世の辞任は法律自体によって無効なのか

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ここでは、教皇ベネディクトの辞任の無効性について、真実を知りたいと願うカトリック信徒のために、冷静な理にかなった教会法上の議論を提示します。

なぜカトリック信徒はベネディクト十六世の辞任の有効性を擁護しなければならないのでしょうか。

私たちは教会法によってそうすることを義務付けられていますか。 – いいえ。

それが無効であるという証拠があるときにそうしないのは罪なのでしょうか? – いいえ。

それが有効であるという法律上の推定はありますか? – いいえ。

無効だったという証拠はありますか? – はい。

 

なぜ教皇ベネディクト十六世の辞任は無効なのですか?

このことを理解するために、辞任と教会法の原文を参照してみましょう。

以下がラテン語原文の辞任のテキストです。

Quapropter bene conscius ponderis huius actus plena libertate declaro me ministerio Episcopi Romae, Successoris Sancti Petri, mihi per manus Cardinalium die 19 aprilis MMV commisso renuntiare…

有効な教皇辞任のための要件は何ですか? – これらは1983年の教会法典の第332条の2に見つけられます。

  • 2. Si contingat ut Romanus Pontifex muneri suo renuntiet, ad validitatem requiritur ut renuntiatio libere fiat et rite manifestetur, non vero ut a quopiam acceptetur.

 

それでは、教会法第332条の2によると、有効な教皇の辞任のための最初の条件あるいは要件は何ですか? – ローマ教皇がが彼の地位(munus)を放棄することです(muneri suo renuntiet)。

教皇ベネディクトの辞任の文言は地位(munus)を放棄していますか? – いいえ、それは明らかに任務(ministerium)を放棄すると述べています(declaro me ministerio … renuntiare)。

放棄が地位(munus)に関係しない場合、教会法第332条の2はそもそも適用されますか? –  この質問への答えは「はい」と「いいえ」です。「はい」であるのは、この放棄が教会法第332条の2が規定する辞任の条件(この場合はmunus)を満たしていないため、無効だからです。そしてこの放棄が、単に活動的任務からの引退であって教皇辞任に関係しない教会法第332条の2の条件の外にある法的行為である限りにおいては、質問への答えは「いいえ」です。

教皇ベネディクト十六世の辞任は有効であると解釈することができますか?

ある人々は、教皇は彼の任務(ministerium)を放棄することによって彼の地位(munus)を辞任することができると言い、そう主張しているようです。これは正しい議論ですか? – いいえ。なぜならそれは単なる主張の問題ではなく、法律自体がそれを宣言しなければならないからです。権限ある上長の実際の行為なしには教会法に変更はあり得ないことを忘れないでください。

しかし、辞任の行為は、新たな辞任の方法を確立する法的行為ではないでしょうか。 – いいえ。司法行為は専制的な行為ではありません。それらはそれら自体を正当化することはできず、教会法に従っていなければなりません。第一バチカン公会議が宣言したように、教皇でさえも新奇なことを創始する権限を持っていないからです。

しかし、もし任務(ministerium)が地位(munus)の代わりになる、あるいは地位(munus)として理解されることができると主張するならば、彼はそれをどう証明しなければならないでしょうか? – 教会法第17条で宣言されているように、条文の意味について疑問がある場合は、法律の他の部分に依拠する必要があります。そこに明確さがない場合は、立法者の意思に依拠する必要があります。

教会法典は、任務(ministerium)を地位(munus)として推定することを認めていますか? – いいえ。教会法のいかなる部分においても、地位(munus)は任務(ministerium)であるとか任務(ministerium)は地位(munus)であるとは述べられていません。実際、教会法第17条によれば、教会法典自体に含まれている用語の定義を、教会法典の公布における立法者(教皇ヨハネ・パウロ二世)の意思の真正の表現として受け入れなければなりません。そして教会法第145条の1において、教会法は全ての教会職 (officium) を任務(ministerium)ではなく地位(munus)として定義しています!

教会法的伝統についてはどうですか、それは教皇職の有効な辞任のために地位(munus)の放棄を要求していますか? – はい、これは明らかです。なぜなら、これまでの全ての辞任の中には、地位(munus)(またはその同義語:onus,honor,dignitas,または正式名称:papatusまたはepiscopatus)への言及があるだけではなく、任務(ministerium)への言及は全くないからです。また、教会法的伝統によれば地位(munus)を意味しない用語を地位(munus)を意味するものと推定することができるという教会法的伝統もありません。教皇は、言語あるいは言語学的な意味の形態の創作者でも発明者でもありません。さもなければ教会において確実あるいは客観的なものは何もなくなってしまうでしょう。そうではなく教会法第38条が述べているように、教皇が教会法332の2の条項に反して何らかの方法で行為した場合、彼の行為は、その条項を無視して行動する意図を明示的に述べた場合にのみ有効です。

教会法典の文言と教会法的伝統の両者が教皇の辞任での地位(munus)の言及を要求しているならば、教会法第17条によって、ベネディクトの任務の放棄が有効であると主張する人々は、拠って立つ何らかの根拠を持っていますか? – いいえ、全く持っていません。

それでは、全てのカトリック信徒は、法律自体によって辞任は無効であることを認めなければなりませんか? – はい。

枢機卿達全員があたかもそれが有効であるかのように振る舞うという事実は、何か意味しませんか? – いいえ、教会法第332条の2によれば、全世界がそれを有効と見なしても、それが教会法第332条の2の条件を満たさない場合は無効です。ここに抜け穴はありません。

しかし、新しい教皇を選ぶために2013年3月にコンクラーベが開かれたという事実だけで、ベネディクト十六世の辞任は有効になりませんか?これに対する彼の暗黙の同意はそれを有効にしませんか? – 両方の点について「いいえ」。第一に、教会法第332条の2への適合性を除いて、辞任を有効にするものは何もないからです。第二に、神の制定によって、ペトロの地位は一人以上の個人によって共有されることができないからです。それゆえ、ベネディクトがそれを放棄しなかった場合、彼はそれを保持します。彼がそれを保持するならば、彼が生きている限り他の教皇を選ぶことは神法に反します。そして彼の放棄の行為の中で彼は彼が生きているうちにコンクラーベを招集するように命じてはいません。彼がそのようなことに同意したのは、恐怖あるいは彼の職を辞任するために必要なことに関しての本質的錯誤のためであるかもしれません。恐怖のためであるならば、それは辞任を有効にしません。彼が本質的錯誤の状態にあるならば教会法188条に従って、辞任は法律自体によって明白に無効です。

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